旅日記 final

この旅のメインイベントである残波JAMはとても楽しい2日間だったのだけど、靴ズレと、膝とアキレス腱の痛みなどの副産物を残し、後の旅路に少なからぬ影を落とした。
というのは嘘で、靴ズレと足の痛みは本当だけど、特にたいした影響もなく、その後も快調に旅は続いた。

南に向かうにつれて、キャンプできそうな場所も見つかりにくくなり、ちょっとした事情も手伝って、ゲストハウスに泊まるようになった。もう一度だけでも、できれば焚き火出来るところでキャンプしたくて、チャンスを伺っていたのだけれど、結局それは最後まで叶わなかった。

今回の旅の前半、テント泊が続いていた時に、一番困ったのが、電気の確保だった。そのあたりは旅の前からの懸案事項だったので、一応の対策はしてきたつもりだったのだけど、思いのほかそれらは役に立たず、具体例を挙げると、USBの差し込口が付いたiphoneも充電できるというのが売りの手回し充電機能付きラジオだ。俺はもうこれだけで大丈夫だろうと思っていたのだけど甘かった。もう役に立たないと分かっていながらの何度かのトライのなかで、精神的な限界がくるまでハンドルを回し続けた結果の16%→18%には絶望感しかなかった。ハンドルを回し続けるというのは、腕が疲れるというよりも、精神が疲れる。エネループを何本か持ってきていたけれど、一本換算でだいたい20%くらいだったので、すぐに尽きる。
そんな事情もあって、俺はコンビニや公園の自販機などから電気を盗んでいた。これはもちろん立派な犯罪なのだけど、方向音痴の俺はGoogleMapがないとまともに旅をすることができないので、背に腹は変えられない 。コンビニで充電器買えば解決なのだけど、その充電器一つの値段で、ゲストハウスに2~3泊出来る事を考えると、買うのはためらわれた。そして事件は起きたのだった。

残波JAMが終わって、ゆっくり南下している途中でコインランドリーを発見した。結構洗濯物が溜まっていたのでそこに入ったのだけど、洗濯機が無くて、全て乾燥機だった。そんなはずはないので何度もよ〜く見直したけど、やっぱり全部乾燥機だ。ほんとに意味が分からなかったけど、乾燥は出来ることが分かったので、近くの公園で手洗いして、また戻ってきて乾燥だけすることにした。
店内には、乾燥機の他に長机と椅子が3脚おかれていて、そこに座るとちょうど目の高さにコンセントの差し込みがあったので、乾燥機を回しているあいだ携帯を充電させてもらうことにした。
乾燥が終わり、洗濯物を畳み終わったタイミングで店主が登場。その時も充電の真っ最中だったのだけど、マックで充電している感じの感覚だったので、とくに慌てることもなく、じゃあそろそろ行くかと片付けを始めると、充電を目にした店主が突然怒りだし、その時になって「あ〜しまった!」と思った。
「すいません、乾燥している間充電させてもらいました」と、僕はお客さんですよアピールを挟みつつ謝ったのだけど、やはり通用しない。充電だけしていたと思っているらしく、「嘘をつくな!洗濯機もないのに乾燥だけするやつがどこにいるんだ!地元の人でもしないよ!」と言ってきたので、じゃあ誰がココを使うんだろうという率直な疑問はひとまず置いといて、公園で洗ってココで乾燥した旨を説明した。すると今度は水泥棒とか言い出したので、かなりイラッとしたけど、悪いのは俺だから我慢した。
警察が来ていろいろ聞かれ、事情を知ったおまわりさんは俺に同情的ではあったけど、やったことは良くないことだから、もう絶対しないようにね。と、そして店主はもう気が済んだらしく、「君にいい旅をしてもらいたいから、大事になる前にちゃんと注意したかったんだ」とドヤ顔で言い、俺はそれに対してお礼を言い、もう一度謝ってその場を立ち去った。電気泥棒はもう辞めようと誓い、実際それ以降はやっていない。それにしてもあのコインランドリーはいったい誰が使っているんだろう。

ゲストハウスは4箇所くらい回ったけど、それぞれ個性があって面白かった。いろいろな人がいて、喋った人はそんなに多くはないけど、それぞれの事情を聞いて見るとおもしろい。いろんなところで働きながら旅をしている人、年に2ヶ月だけ沖縄に滞在している人、離島から出稼ぎに来ている人など。全体的に若い人が多かったけど、なんか気後れして、歳が近そうな人とばかり喋ってしまう。
ある日、リビングで平和通りの古本屋で買った本を読んでいると、同室の青年(24)がはいってきたので、勇気を出して「これからバイト?」と話しかけて見た。そこから読んでた本の話になり、
「感じのいい小さな古本屋とか見つけるとどうしても入ってしまうんよ。」
「あーわかります!わかります!てか本のチョイスやばいっすね!」
みたいな感じで盛り上がりかけたけど、バイトの時間があってすぐ終わってしまった。次の日にはそこを出たので、その後その青年(24)とはあっていない。
後になってもっといろんな人に話しかければよかったと思ったけど、それはもう何時もの事だ。

途中で一度本島を離れ、渡嘉敷島に渡った。人口700人の島で、国立公園に指定された慶良間諸島の中の一つだ。アップダウンが激しすぎて、チャリダーにはむかないかもしれない。海があまりに綺麗だったので予定ではなかったけど、ダイビングをしようと思い、ウェットスーツを着たおじさんに聞いたら、明日は俺は無理だから違うとこ紹介してやるといって電話番号を教えてもらった。
で、電話で打ち合わせをして次の日の朝、迎えに来てもらった。
ボートで2本、珊瑚に囲まれた島で、透明度の高さも素晴らしく、地形も面白かった。大満足だった。インストラクターは俺と同じ歳で、出身も大阪で、オフシーズンなので、一人でショップを切り盛りしているというパワフルな女性だった。離島で店をやっていて、同い年で、大阪出身。こんだけ共通点があると話も尽きない。夜遅くまで飲みながら語り合った。種子島に行くと言っていたし、俺も渡嘉敷は気に入ったので、たぶんまた会えるだろう。

ゲストハウスを転々としている間に平和祈念公園、ひめゆりの塔、首里城に行ったのだけど、時間に余裕があってゆっくり見て回ることができた。
昔、広島の平和祈念資料館に行った時、あの時はただただ怖かった。色んな展示を見て、資料を読んで、知識としての戦争が、核兵器が怖かった。そしてもっと怖いと感じたのが、被爆者の写真を見ている時に気づいたこと。これは血なのか影なのか?この空は青いのか曇っているのか?白黒写真で見る戦争はリアルには到底及ばないだろうこと。そしてリアルに戦争を知っている人がいずれ、近い将来いなくなる事実の大きさ。
沖縄の資料館で見た戦争も、広島とは違った側面もあり、戦争の怖さは十分に伝わるけど、地上戦で、個人レベルではなんの恨みもない人同士が殺しあうという恐怖は、想像や、資料、映像では絶対追いつかない。ひめゆりの資料館で、生き残った方たちが語り手を育成する取り組みを紹介していたのを見ても、俺はそこに希望を見出す事は出来なかった。ただ、うまく言葉にはできないけど、広島の時より歳食った分、深く広く考える事はできたような気がする。やっぱり怖かったけど、いい時間だった。


最後のゲストハウスをでてから、国際通りでがっつりお土産を買い、S太の家へ行った。そこでお土産をダンボールに詰めて郵便で自宅に送り、S太、Mとパイナップルパークへ行って観光気分を味わい、最後の夜は3人でキムチ鍋を囲んで旅の締めくくりとなった。

この旅でいろんな人に出会えて、いっぱい考える機会を得た。非日常の日々のなかで、今まで気づかなかった自分の一面を発見した。「自分探しの旅」なんて言葉をよく聞くけど、なるほど、こう言うことかと、妙に納得した。

次の日早朝に鹿児島行きのフェリーに乗り込み、朝焼けに照らされた那覇の町並みを眺めながら、「いいところだったなー」としみじみ思う。温暖な気候と複雑な歴史が生み出した文化と風土がなんとも言えない魅力を醸し出している。きっとまた来るだろうなという予感と、でもここに住むことはないなという確信が同時に湧いてきて、ふと思ったことを口にしてみる。
「早く帰って仕事したいなー」


ー旅日記 fin ー






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旅日記Vol2

沖縄上陸後、近くに美ら海水族館があったので行ってみることにした。
海洋博公園の駐輪スペースに着いたとき、ちょうど東京からきてるらしい人がいて、(自転車に東京〜沖縄に自転車で旅してきました的なことが書いたダンボールを貼り付けていた) 人懐っこい笑顔であいさつしてきたのだけど、俺は「あっ、ども」と言って、早速人見知りっぷりを発揮してサッサといってしまった。
水族館へ向かって歩きながら、さっきの東京の人とどう会話したらよかったか、頭の中でシミュレーションしていたら、激しく後悔してきたので、駐輪場に戻ってみたら当然ながらその人はいなかった。「こうしてまた俺は自分が嫌いになっていくんだよな…」と、つい声に出してしまい、沖縄の暖かい風も、その時ばかりは冷たく感じる。そのままチャリにまたがり走り出した。まあ、水族館には正直あまり興味がなかったのでそれでよかった。その日はもう時間が遅かったので適当なところにテントを張った。

次の日は早朝から走りだした。別に早起きした訳でなく、風が強かったり、まわりの草がテントを叩く音がうるさかったりして眠れなかったのだ。怖かったとか、そういうのは全くない。本当に。全然余裕だった。
その日の目的地は辺野古。時間的には余裕があったので遠回りした。当然ながら見る景色は全て初めて見る景色。それだけで楽しくて、ペダルを漕ぐ足も軽い。天気も良くて気持ちいい。前日の失態はすっかり忘れて、自然の中のサイクリングを楽しんだ。
遠回りしてもわりと早い時間に辺野古に着いた。辺野古の名前はほとんどの人が知っているだろう。知名度は全国区の街。でも、街の中ではほとんど人の姿を見なかった。開いてる店もなくて、ゴーストタウンといっても言い過ぎではないくらい廃れた街だった。
知事選が近いからか、砂浜にも人はいなかった。その日はそこでキャンプする。ちょっと寒かったし、焚き木もいっぱいあったので、久しぶりに焚き火をした。
焚き火の火はいつまででも飽きずに見ていられる。そして月がとても綺麗だった。それらを肴に泡盛を飲む。最高の夜だ。そのまま波の音をBGM に眠りについた。



次の日は平安座島、浜比嘉島、宮城島、伊計島を繋ぐ橋、海中道路を走った。海の上を走るのは気持ちよかったけど、島自体にはあまり見どころはなかった。あったといえば伊計島のぬちまーす工場くらいか…。

次の日さらに南下して中城村に向かう。
そこには十数年ぶりに会う友達が住んでいる。彼には四国で少しサーフィンを教わった事もある。ファミマで待ち合わせして、居酒屋へ移動。近況報告から昔話へ、そして基地問題や知事選の話、沖縄の歴史など、いろいろ話ができて楽しかった。概ね価値観が一致していたので、会話が弾む。時間がたつのがホントに早かった。その友達はいろんなイベントを主催していて、モンパチやハイスタなど沖縄のミュージシャンともつながっているので、いつか種子島に連れてきてくれるんじゃないかと密かに期待している。

次の日は嘉手納町へ。道の駅カデナの展望所から米軍の飛行機を見学した。やはり俺も健全な男子ではあるので、戦闘機なんかはかっこいいなと思ってしまう。でも何より俺の心をとらえたのは、それらを目当てに来ていたカメラおじさんたちだった。飛行機が飛ぶ度に、その姿を捉えようと、カメラ本体の8倍くらいありそうな、バズーカ砲みたいなレンズを飛行機に向ける、見た目はオッサン中身は子供の男達。飛行機の写真は一枚も撮らなかったけど、オッサンの写真は思わず何枚か撮ってしまった。そのオッサンの姿をとらえた写真、俺にはどう見ても美しい。




そのあとは一路那覇市へ。
S太とMに会いに行った。この二人は短い間だったけど、小麦屋でバイトしてもらっていた時期もある。その時S太はS子だった。一応同性カップルだったので、「女のS子に彼女がいるというのに、俺ときたら…」なんて事を思ったものだった。
沖縄に移住してからは、特に連絡もとっていなくて、たまにタイムラインで様子が伺える程度だったので、二人でちゃんとうまくやれているのか気になっていたのだけど、変わらず仲も良さそうでほっとした。
S太はもうすぐ戸籍上でも男になり、そしたら結婚もできる。そう嬉しそうに語っているのを見て、俺も無性に嬉しくなった。その日はS太とMの家に泊めてもらい、次の日は残波岬へ向けて走り出す。

さあ、次はいよいよ残波JAMだ。







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旅日記

「海渡りゆけ〜、海渡りゆけ今〜」
ジプシーソングを口ずさみながら、中種子から西之表まで軽快にチャリンコを走らせる。今にも雨が降りそうな空の下、
「旅に出る刻だ〜、旅に出る刻がきた〜」
覚えてるところだけを繰り返し歌いながら、1時間ちょっとでフェリー乗り場に到着。
搭乗手続きを済ませて外を見ると、土砂降りの雨だった。

チャリを押してハイビスカスに乗り込むと、俺のより全然速そうなチャリが1台あった。チャリダーが一人のっているようだ。
鹿児島まで3時間。携帯はほとんどの時間つながっていたので、特に時間を持て余すこともなく到着。到着までの間、すぐ近くで白人金髪ドレッドと英国紳士風がすげ〜でかい声で喋っていて、ちょっとウザかったけど、途中でなにを喋っているのか気になってきて、二人の会話に意識を集中してみた。
結果、「osaka」「tokyo」「tokushima」しか聞き取れず、「なるほど、旅の話をしてるんだな」という結論で落ち着いた。
到着してチャリのところに行くと、もう一台の速そうなチャリのところに金髪ドレッドがいた。「これって話しかけられるパターンじゃね?」と思っていると、案の定話し掛けてきた。
「%♡☆○◆backpack♧▲%♠︎heavy☆?」
ちょっと何言ってるかわからなかったので、「unh…so so」と答えておいた。
さらに「Where do you go?」と言ってきたので「okinawa!」とこれは自信満々で答えたら「okinawa?」と、沖縄を知らない感じだったけど、説明出来そうもなかったので、「so!okinawa!」と勢いで押し切った。そのあと、自分は東京行くみたいな感じのことを言ってきたけど、「ok,good luck!」と切り上げてサッサと出発した。

沖縄行きのフェリー乗り場まで少し距離があったけど、まあまあ時間があったし、車道は怖かったので、歩道をチンタラ走っていると、さっきの金髪ドレッドが「SA↓YO↓NA↑RA→!」と言いながら車道をものすごいスピードで駆け抜けて行った。チャリダーのスピードを目の当たりにして、ちょっとだけ闘志に火がつき、車道にでてスピードを出してみる。やっぱ気持ちいい。でもトラックとかバスとかデカイやつがやたらと怖い!で、歩道にもどる。
そのあとも車道にでたり歩道にもどったりを繰り返しながら、フェリー乗り場に到着。それにしてもあの金髪ドレッド、たぶんイイ奴だったな。やっぱ英語できるようになりたい。

ここからは24時間くらいの船旅だ。出発してしばらくすると携帯も繋がらなくなった。乗客は結構いるけど、団体がほとんどで、自衛隊と、あとは夫婦(カップル)かファミリー。
一人の人は見かけない。まぁ居たとして、基本人見知りなので話し掛けたりはしない。この限られた空間で、一人で、24時間。本買ってくりゃ良かった…と後悔してもあとの祭り。売店で文藝春秋を買う。460ページに字がびっしり。こりゃイイ!と読み始めるも、あまりはかどらない。理由は面白くないから。仕方がないので船内をブラブラする。煙草吸う。外に出て海を眺める。煙草吸う。ロビーのソファでボーっとして、「あれ?この情景、昔夢で見た気がする!デジャヴ?」と思ったところで時間を確認する。3時間しか経っていない。ヤベェ…。
結局他にやることないし眠れないので、ブラブラする、煙草吸う、文藝春秋読む、海を眺める、ってのを繰り返す。で、途中で気付いた。退屈だけどこんな時間の過ごし方も悪くない。
ふだんは週6日仕事して、休みの日は予定を詰め込む。楽しいし、充実してるし、だからと言って時間に追われている訳でもないので、心地いい。
こんな風に時間を持て余すことは、種子島に移住してからもなかったんじゃないだろうか。いや、なかったというより意図的に避けていた。時間を無駄にしてしまうのを怖れて…。ただ、種子島でこんな風になにもしない日を作ろうとは思わない。今は船旅ならではの時間の流れが、この空気をつくりだしているわけだから。

結局明け方、奄美大島につくまでそんな感じで過ごした。何度か眠ろうとしたけど、大部屋なので人が多く、落ち着かなくて全然眠れなかった。朝焼けがチョ〜綺麗だった。
奄美でかなりの人がおりたので、そのあとなんとか3時間くらい寝ることができた。

喫煙所で毎回会う夫婦とちょっと喋った。「チャキチャキの江戸っ子」って感じの二人で、しゃべるしゃべる。キャンピングカーで日本中を旅しているらしく、沖縄で半年過ごして旅は最後にするらしい。死ぬ前にスキューバダイビングをしときたかったんだ、とはりきっていた。すごく仲も良くてうらやましい。

船は徳之島、沖永良部島、与論島と、すごろくのように進んで行く。どこも海がめちゃくちゃ綺麗だ。…まあ種子島も負けてないけどね。

ダラダラと読み進めていた文藝春秋も残り数ページってところで本部(もとぶ)に到着。ここで船の旅は終わり。

ここからはすごろくのようにルートは決められていない。自由に行きたい方へ行く。

船を降りて、港から出るとさっそく左右に道が分かれる。さあ、どっちへ行こう、右か、左か…。


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妄想ストーリー

日 「なんか…嫌になってきた。」

韓 「どうしたん…」

日 「竹島とか、尖閣とか、なんかどうでもよくなってきた。」

韓 「マジで?」

中 「ええの?どうでも?」

日 「もうええよ!そんなんでいがみ合ってんのアホらしいわ!勝手にしたらええねん!」

韓 「イヤ、そんなこと言われたらこっちもやりにくいわ…」

中 「ほんまどうしたん!?らしくないで!ホンマにとってまうで?」

日 「だから、勝手にしたらええやん!領土とかなんやねん!もうどうでもええわ!」

韓 「どうでも良くないやろ。ちゃんと白黒つけようや。」

中 「ほんまやで、こっちは戦争してもええくらいの覚悟決めとんねん!」

日 「戦争?それで、人がいっぱい死んで、島1個手に入れて、バンザーイ!か?人の命はそんな軽いんか?

   たかが島1個のために人と人が殺し合うんか?日本人も、かn…中国人も、アメリカ人も、みんな地球人ちゃうんか!」

韓 「……!!」

中 「……!!」

韓 「…なんで今韓国人端折ったん…」

中 「なんやろ…衝撃的やな…後頭部思いっきりどつかれたみたいや…目から☆出たで…」

韓 「今…かn…まで言いかけてやめたよな…?」

日 「そんなんどうでもええねん!みんな地球人やねん!」

韓 「えっ…イヤ、そうじゃなくて…えっ?そうなんか???」

中 「たしかに…どうでもええんかもしれんなあ…どこが起源とかもな…」

韓 「…なんか攻撃されてる?」

日 「みんな地球人やねん!」

韓 「それはもうええねん!」

中 「地球人か…国境無くす時がきたんかもしれんな…」

日 「おぉっ!さすがやな!4000年の歴史はスケールが違うアルな!」

韓 「NO BORDER か…理想ではアルな…」

中 「…まあ、ちょっと語尾が気になるけど、その方向でやってみるか!」

日 「これは…!!でっかい仕事やでぇぇぇ!!」

韓 「難波はん、いっちょやったりますかぁぁぁ!」

中 「よっしゃ!これからみんなで海行こか!」

日 「えっ?なんで?」

韓 「意味わからんわ…」

中 「なんでやねん!こういう時は海行って叫ぶもんやろ!」

日 「お、おう…そうやな、行こか…」

韓 「うん…海な…うん…」

中 「やっぱ辞めや。ヤメヤメ!!そんなんで行っても意味ない!」

日 「ちょっ…行こうや!一緒に叫ぼうや!」

中 「…………」

韓 「そ、そうやで!行こうや!…そうや!弁当もって行こう!唐揚げと、酢豚も入れて…」

中 「………」

日 「八宝菜もいれよか!あとは……」
 
中 「…青椒肉絲…」

日 「OK! それもいれる!」

韓 「よっしゃ、行こか!BGMたのむわ!」

中 「NO BORDER めざすわけやから…あの曲しかないな…」

日 「イマジンか」

中韓 「それな」


……てな感じの妄想をしてたら、まもなく夜明けの時間になってしまった。途中から楽しくなってしまって全然眠れなかった。
子供の時の、地球防衛軍に入って地球を救う妄想から始まり、思春期にはエロい妄想ばかりになり、大人になってもこんな妄想をしている。共通しているのは全て俺の願望だということだ。で、1つ今までと違うところは、自分が主役ではなかったこと。さすがに国境なくすとか、妄想にしても個人レベルの話ではない。まあ地球防衛軍もどうかとは思うけれど…。
この、俺の願望、俺が生きているうちは無理にしても、いずれ現実になると本気で思っている。人間は今までずーっと戦争をして殺し合い、産業のために自然を壊してきた。一見アホな生物に見えるかもしれない。でも俺は
そこまでアホではないと思っている。昔は差別なんて当たり前だったし、自然を保護しようという動きも少なかった。人の命も今よりずっと軽かったんじゃないかと思う。
テクノロジーは急速な進歩をしたけれど、人間の精神も少しずつ進歩している。と思いたい。
戦争はなかなかなくならないし、原発もなくならない。環境破壊もスムーズに進んでいる。破滅のシナリオを想像する材料はいくらでもある感じだ。これらの問題はもちろん無視してはいけないのだけど、それだけになってしまうのもダメだ。
息をのむような景色があり、自然が織り成すドラマがある。心躍り、ついでに体も躍る音楽がある。顔が勝手に笑顔になる美味しい酒と料理がある。気心知れた友達がいる。気のイイ隣人がいる。総じて、みんながいるこの世界は、素晴らしい。クソッタレで、素晴らしい。…ってことも忘れずに生きていきたい。

.

.

.

日 「国境が無くなって、戦争が無くなって、素晴らしい世界になるな。」

韓 「ところで、地球の大統領的なヤツは誰がやるの?」

中 「………」

米 「………」

露 「………」

仏 「………」

韓 「知ってた?地球って韓国起源やねんで。」

日 「………」


    -F I N-


 

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ひとりごと

最近、俺のまわりで出産ラッシュが続いている。本当に少子化なのかと疑いたくなるくらいだ。
新しい生命の誕生は自分とは関係なくても、やはりテンションが上がるし、うれしい。
俺は昔は子供が少し苦手だったけど、友達の子供や甥や姪とふれあっているうちに、子供が好きになってきた。今では子供が可愛くて仕方がない。念のため言っておくと、性癖とかは関係ない。ノーマルだ。
ただ、自分の子供が欲しいかと言うと、欲しいと断言することができない。自分の子供ということは、自分の遺伝子を受け継いでいるということになる。それがある意味恐怖であったりする。
俺は昔からコンプレックスの塊みたいな人間だから、どうしても自分に自信がもてない。周りからの評価はそんなに悪くないような気はするけど、自分のことは、やはり自分が一番わかっていて、いろいろ取り繕ったりはするけど、自分にだけはごまかせない。もし、結婚して、子供が出来て、どうしようもないくらい自分に似てしまったら…とか考えると怖くなる。
一人なら、この先どんな世の中になろうが何とでもなるけど、子供がいたら、最後まで頑張れるだろうか…とか考える。ほんとに情けない話だけど、今までいろんな縁があったのに、結局踏ん切りがつかず、気が付けば今年で35歳の年になってしまった。別に後悔しているわけでもなく、今までの自分の人生に不満があるわけでもない。ただ、友達が家族を作り、一生懸命に生きているのを見ていると、羨ましかったり、どこかうしろめたかったり、ちょっと寂しかったりする。ただそれだけだ。

子供を見ていると、俺にもこんな時代があったのかと、ちょっと不思議な気持ちになるときがある。俺は幼稚園位から以前の記憶がほとんどなく、小学校前半の記憶もかなり薄い。その時考えていたことなんて全くわからない。だから、子供の純粋さや、素直さとかに触れるとちょっとびっくりしてしまう。で、やっぱり子供可愛い。となる。性癖とかではなく。何度でも言うが俺はノーマルだ。
まあ俺は常に第3者なので、きっと俺の想像以上に親は大変なんだろうなとは思う。自分が親になれていない分、世の中の全ての父親と母親を尊敬している。もちろん自分の親も含めてだ。すごいよな~と思う。で、やっぱりちょっとうらやましい。

そういえば最近あることを思い出した。もう結構昔のことで、ちょっと胡散臭い話だ。
仕事の帰りだったか、遊びの帰りだったか忘れたけど、夜電車に乗って、外の闇と窓に映る自分の中間位をボケ~っと見ていたときに、突然あることを確信してしまった。あっそうか!って感じで。
それは、自分があの両親を選んで生まれてきたということ。その時に何を考えていたのかわからないけど、少なくとも両親のこととか、自分の出生に関することとかではないことは確かだ。それにその時は両親、特に父親とはうまくいってなくて、なんであの親から生まれてきたのかと不満にさえ思っていた。もちろん幼稚園の時の記憶さえない俺に生まれる前の記憶なんてあるはずがない。でも、なぜかその突然湧いてきた不思議な確信を俺は素直に受け入れてしまった。ほかの人は知らないけど、俺は自分であの親を選んだ。そうか、自分で選んだんならしょうがないよなって感じで、そのあとから少しずつ自分と親の間にあった壁が崩れていった。今はめったに会うこともないけど、結構仲はいい。
で、俺はみんながそうだったらいいなって思う。親からすれば、子供が自分を選んでくれたと思えばすごく嬉しいだろうし、子供も自分が選んだ親だと思えば大切にしようと思うだろう。まあこれは俺がなんの根拠もなくただ信じているだけのことなので事実はどうなのかはわからないし、知りようもないことだ。信じるか、信じないか。それだけだ。

そう考えると、ちょっと怖いけど親になるって悪くないよなって思えてくる。なんせ向こうが俺を選んで生まれてくるわけだから。
種子島にきて、お店始めて、いろんなことに挑戦して、実は少しずつだけど自分に自信がついてきているのを感じる。今は彼女もいないし、できそうな気配もないので、父親になれるとしても、もうちょっと先のことだ。のんびり構えてられる歳でもないけど、焦らず、今の生活を楽しみながらも、自分を高めていきたい。

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34年目の確信

種子島に来てそろそろ5ヶ月がたつ。お店もオープンして2ヶ月たち、今の生活にもだいぶ慣れた。会社にいた頃よりも時間を作りやすいので、いろんな事に挑戦している。ギター、サーフィン、ロッククライミングなど、とにかく充実した毎日で、なんかもう楽しすぎる。新しい事を始めて、できなかった事がだんだんできるようになるという体験は、しばらく忘れていた新鮮な刺激だ。
忙しい毎日だけど、ひたすらやりたいことだけをやっている感じなので、ほとんどストレスがない。
今日、ランチのアルバイトのMさんが、夢の中でも仕事をしていて疲れたという話をしてきた。Mさんは保険の営業をしていて、朝会社に出勤して朝礼にでてから、会社を出て、そのまま店にバイトに来るというハナレワザをやってのけている。面接の時には聞いていたのだけど、その会社の社長はそのことを知っているというから驚きだ。ほんとに大丈夫なのかと思ったけど、大阪の常識と島の常識が必ずしも一致しないということは、なんとなく気づいていたのでそこはスルーすることにした。そんな感じで採用したMさんはアルバイトを楽しんでくれている感じだけど、本業のほうはいまいちパっとしていないみたいで、まあ、本来なら営業に回っているはずの時間にアルバイトをしているわけだから、そりゃあしょうがないだろうとはおもうのだけど、結構悩んでいるみたいで、それでそんな夢を見たのだろう。で、俺もちょうど見た夢を結構覚えていたので、「俺は悟空になってフリーザと戦う夢を見たよ。あっでも原作とは全く違う感じだったから楽しかった。やっぱフリーザ様の強さは尋常じゃないね」なんて事を言うと、ため息をつきながら「幸せですねぇ…」と言われて、あぁそうだなぁ…と思った。
店を持つのは長年の夢だったし、島暮らしも昔から密かに抱いていた願望だった。たしかに今、とても幸せだ。
今までの人生も充分幸せだったけど、今の生活は、例えるなら今まで種をまき育ててきたものが思いもよらず大きな美味しい実をつけたって感じがする。
種子島を選んだのはたまたまだし、店を持つことができたのも良い縁に恵まれ、タイミングに恵まれたからで、予定にはなかったことだ。今の生活は島に来る前の想像をはるかに超えている。だからこれからどうなるのか楽しみだ。ある程度想像しているし、ぼんやりとはしているけど、夢もある。でもこれから出会う人であったり、情報だったり、体験などによっては思いもよらないことになったりするということは、大阪から種子島に移り、現在に至る一連の出来事のなかで強く実感した。これからもきっといろんなことがあるんだろうと思う。今は楽しいことばかりだけど、また必ず試練のようなものに直面するだろうし、つらい出来事も起こるだろうけど、なにが起きるかわからないご時世ではあるけれど、それでも前向きな前進をやめなければ、思いもよらないかたちで人生はすこしずづイイものになっていく。34年生きてきて、たどり着いた南の島で振り返ってみて、それを確信した。

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島暮らし


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新生活

仕事をやめてもうすぐ3ヶ月がたつ。俺はいま、関西に別れを告げて、種子島にいる。農業関係の仕事に従事しようと思い、仕事をやめて半月後には種子島に引っ越していた。で、なぜかパスタ屋をはじめようとしている。
なんでこんなことになったのか、細かく書こうと思ったらとても長くなってしまう。書けないこともないんだろうけど、めんどくさいので簡単に言うと、不思議な縁に導かれて、タイミングに後押しされたって感じだ。
4月の初旬にはオープンするけど、おそらくそれほど繁盛はしないんじゃないかと思っている。まず人が少ないってのと、来たばかりなので知り合いがいないってのと、島の人があまり外食をしないってのが主な理由だ。そんな劣悪な条件でお店をやろうとしてるわけで、不安がないわけでもない。実際お店をやってる人の多くは他に収入源があって、だいたいそれは畑を少しやってたり、デザイン関係の仕事を持ってたりするわけだけども、俺には何もない。ただ、多分俺は店の経営ならそれらの人たちの誰よりもうまくやれると思う。それに、借りた店舗は2階建てで、俺は2階に住んでいる。店の家賃を経費と考えれば、自宅の家賃はタダということになり、しかも家賃は4万という、都会ではワンルームでもあまりないような値段だから、なんとか生活はしていけるんじゃないかと踏んでいる。
種子島に来て2ヶ月位だけど、来てよかったと思っている。いろんなところに絶景ポイントはあるし、ロケットの打ち上げも1回見れたし、少しだけアルバイトした蜜柑畑の家族と仲良くなれたし、星はきれいだし、暖かいし…でも昔からの知り合いが一人も居ないのは少し寂しい。関西にいた頃はさびしいなんて感情は持ち合わせていないと本気で思っていたのだけど、こっちに来て最初の1ヶ月はケータイもつながらないようなところに住んでいたので、孤独感が半端なかった。今もさびしいと思うことは時々あるけど、店の準備は楽しいし、時々知らない人がいきなり入ってきてちょっとしゃべったりするのも楽しい。この島はサーファーの聖地みたいになっていて、サーファーが結構いるので、俺もやってみようかと思っている。釣り人の聖地って話も聞いたことがあるし、ダイビングの機材もちゃんと持ってきたし、多分楽しく過ごせるんじゃないかと思っている。ひとつだけ残念なのは映画館がないことだけど、それくらいは我慢しよう。

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退社決定

約5年勤めた会社をやめることが決まった。
別にやりたいことがあるわけでもなく、ただ辞めたいから辞めるって感じだ。
この会社に入った動機は、独立するためのスキルアップで、つらいことがあっても目標にむかう途中のハードルの一つだから超えていくしかないと思ってやってきた。でもこの仕事自体に楽しさとかやりがいとかを見いだせなくなってきて、俺にとってのゴールが色あせて見えてしまった。色あせたゴールに向かって走ることはもうできない。
結局のところ、俺にこの仕事はむいてないという事が、5年やってやっと分かったってことなのかもしれない。
人には向き不向きがある。俺はあまり好きな言葉ではなく、今まで否定してきた言葉だ。たとえ自分にはむいてないと思った仕事でも、やり続けていれば天職になると、そんな風に考えていた。実は今もそんなに考えは変わっていない。楽しくないし、やりがいも感じない。それでもやり続けていれば、今まで見えていなかった魅力に気づくのかもしれない。でももう我慢ができない。だからもうしょうがない。
ぶっちゃけて言うなら、人の上にたつのがストレスでしょうがないという事に気づいた。店長になって、2年強。責任感をもって仕事するのはとてもいいもので、やりがいも感じていたけれども、人の管理をするというところに、違和感を感じ続けていた。それを払拭するために、若いスタッフ(おもに学生)に社会経験を通じて考え方やしごとに対する意識などを教えてやることが、大人の男としての使命なんだと、自分に言い聞かせてやってきた。でも限界みたいだ。俺に人を変えることはできないし、やりたいことでもない。
組織に属する以上、人の上に立ちたくないなんて言っていたら、多分いい仕事はできないだろうし、未来もない。だからこの先どうしようか悩んでいる。やめることに躊躇いはないし、きっと後悔もしない。それには自信がある。でもこれからの俺の人生に対する自信はない。
まだ1ヶ月くらい残っているので、その間は会社のためにやれることをやれるだけやるつもりだ。辞めてから、ゆっくり考えよう。人生はまだ長い。

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小さな幸せ

ここ数ヶ月、まともに休みがとれなくて、店と家を延々と往復する日々が続いていた。仕事は仕事で楽しいけど、思うような結果が出ず、悶々と余計なことばかり考えてしまい、俺の強靭なメンタリティもじょじょにすり減っていく。
そんな中、唯一の楽しみだったのが、帰りにご飯を食べる時間だった。深夜に開いている店は少なく、いつの間にか毎日松屋に通うようになっていた。しかも毎日同じメニューだ。なぜか豚バラ焼肉定食が気に入ってしまった。ツイッターを見ながら、豚バラ焼肉定食を食べている間、俺は幸せだと感じていた。そんなことに幸せを感じる俺は不幸なのかもしれない。そんなことで幸せを感じることができる俺は幸福なのかもしれない。まあどっちでもいいけど、少なくとも豚バラ焼肉定食を食べている十数分間は、まちがいなく幸せだった。

ある日、っつーか一昨日位のことだけど、家にいるときにもよおしてきて、大きな用を足そうとトイレにいこうとしたとき、ついでにシャワーも浴びてしまおうと、全裸になり、トイレにいった。ユニットバスなので、う〇こ→シャワー→歯磨きの黄金のリレーは定番だ。で、便座に座ろうとしたときに悪魔的ひらめきが電流のように脳内をかけめぐった。いつも冷たい便座に我慢して座るけど、熱いシャワーで便座を温めてしまおうという素晴らしいひらめきに、震えた。いや、ただ寒くて震えたのかもしれない。まあ、どっちでもいい。ほどよく温まった便座にすわり、出しっぱなしのシャワーを見つめる。そしておもむろにシャワーヘッドをつかみ、その熱いシャワーを全身に浴びせかける。震えるほどに気持ちがイイ。さらにいつもの快便で、さらに気持ちがイイ。あ~幸せだ。しばらく夢中になった。
ふと我にかえると、あることに気がついた。トイレットペーパーがびしょ濡れで使えない。もう一気に台無しだ。なぜもっと冷静になれなかったのかと悔やまれる。そのあとどうしたかはふせることにしよう。以上が最近感じた俺の小さな幸せだ。

もうすぐ今年も終わる。来年、俺は34歳になる。目標は客観的視野を持つことだ。

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