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お金について

今日は財布を忘れた。別に一日くらいなくても平気なはずなのに、実際財布なしで一日過ごしたけど、仕事中お金を使うことはないし、コーヒーが飲みたくなったら店のコーヒーを飲むので、たいして困らなかったのに、財布がないというだけでなぜかそわそわしてしまい、落ち着かない。財布というよりお金だ。なぜお金がないと落ち着かないのだろう。お金っていったいなんなんだ!?…ってわけで、毎度おなじみのヤマダで調べてみた。「お金」は広辞苑になかったので、「貨幣」で調べた。

「貨幣」…商品交換の媒介物で、価値尺度・流通手段・価値貯蔵手段の三つの機能を持つもの。本来はそれ自身が交換されるものと等価な商品で、昔は貝殻・獣皮・宝石・布・農産物など、のち貨幣商品としてもっとも適した金・銀のような貴金属が漸次用いられるようになった。

って感じだ。この昔ってのがどれくらい昔なのかわからないけど、お金のかわりに布やら農産物やら獣の皮やらが使われていた時代があったってことはまちがいない。で、この場合は、交換したい物を一旦価値基準となる布とか皮と交換して、さらに欲しい物と交換していたんだろうけど、これは物を売って、売ったお金で物を買う。という今の基本的な経済の仕組みと同じだ。そのあと長い年月を経て、貨幣は貴金属や紙になった。それはいまでも続いているし、それでいいと思う。貴金属だろうが、紙だろうが、実体があるからだ。
上の説明文には、「価値尺度・流通手段・価値貯蔵手段の三つの機能を持つもの」とある。この三つの機能ってよく考えたら、物じゃなくてもいい。で、実際ものではなくなってきている。価値尺度は数字。流通手段は電波や回線。価値貯蔵手段は…データ?…まあそんな感じで、お金が実体のない物になっているのは確かで、俺はどっちかというと年齢の割には古い考えの持ち主なので、便利なのは確かなのだろうけど、ちょっと怖い感じがする。
毎月振り込まれる給料も、振り込み、引き落とし、クレジットカードなどで、大半は現金を見ることなく消えている。俺が見ているのは減っていく数字だけだ。もし、この先電子マネーやクレジットカードがさらに普及し、貨幣や紙幣が廃止され、お金が数字の増減だけになってしまったら…って考えると、やっぱり怖い。
そして、お金には機能とは違のもう一つの側面がある。それが、人に与える影響、もしくは力だ。お金があれば大概のことはできる。逆にお金が全くなければ生きていくことさえ難しい。そのために、人はお金に相当影響を受けている。今日、ネイサンが「お金貸そうか?」と言ってくれたけど、俺は断った。 
一度知り合いにお金を貸して、連絡がつかなくなったことがある。わりといい関係だったので、ショックは大きかった。お金のことじゃなくて、その人に対するショックだ。別にお金なんて返してもらわなくてもよかった。本当に。ただ、たかだかお金のことで人間関係が壊れるのが悔しかった。だからお金の貸し借りはできるだけしない。どうしてもって時は、貸すときはもうあげるつもりで貸す。借りるときはいつ返すか言って、催促される前に返す。気を付けないとお金の魔力に壊されてしまう。
上の説明にもあるように、お金は尺度であり、手段だ。価値そのものではない。大事にするべきではあるけど、執着するべきではない。と、俺は思う。人によくおごったりするのも、正しいか正しくないかは別にして、それを忘れないためだったりする。
たぶん、俺は今の考え方ではまともな人生は送れないと思う。おそらく時代にあっていない。ただ困ったことに考えを改めるつもりがない。もしかしたら、じーさんになっても貧乏な生活をしているかもしれない。でも、もしそのじーさんになった俺に「人生どうだった?」って聞いたら、「まあ、まんざらでもなかったよ」って言ってくれるんじゃないかと、現在の俺は信じている。
なんか財布わすれた話からまた大きな話に飛躍してしまったけど、結局なんでお金がないと落ち着かないのかって話に戻ると、たぶんそれはコーヒーが買いたくても買えない状況だったからだろう。なぜなら店のアイスコーヒーを確保した途端に財布の事なんてすっかり忘れてしまったからだ。

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