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旅日記 final

この旅のメインイベントである残波JAMはとても楽しい2日間だったのだけど、靴ズレと、膝とアキレス腱の痛みなどの副産物を残し、後の旅路に少なからぬ影を落とした。
というのは嘘で、靴ズレと足の痛みは本当だけど、特にたいした影響もなく、その後も快調に旅は続いた。

南に向かうにつれて、キャンプできそうな場所も見つかりにくくなり、ちょっとした事情も手伝って、ゲストハウスに泊まるようになった。もう一度だけでも、できれば焚き火出来るところでキャンプしたくて、チャンスを伺っていたのだけれど、結局それは最後まで叶わなかった。

今回の旅の前半、テント泊が続いていた時に、一番困ったのが、電気の確保だった。そのあたりは旅の前からの懸案事項だったので、一応の対策はしてきたつもりだったのだけど、思いのほかそれらは役に立たず、具体例を挙げると、USBの差し込口が付いたiphoneも充電できるというのが売りの手回し充電機能付きラジオだ。俺はもうこれだけで大丈夫だろうと思っていたのだけど甘かった。もう役に立たないと分かっていながらの何度かのトライのなかで、精神的な限界がくるまでハンドルを回し続けた結果の16%→18%には絶望感しかなかった。ハンドルを回し続けるというのは、腕が疲れるというよりも、精神が疲れる。エネループを何本か持ってきていたけれど、一本換算でだいたい20%くらいだったので、すぐに尽きる。
そんな事情もあって、俺はコンビニや公園の自販機などから電気を盗んでいた。これはもちろん立派な犯罪なのだけど、方向音痴の俺はGoogleMapがないとまともに旅をすることができないので、背に腹は変えられない 。コンビニで充電器買えば解決なのだけど、その充電器一つの値段で、ゲストハウスに2~3泊出来る事を考えると、買うのはためらわれた。そして事件は起きたのだった。

残波JAMが終わって、ゆっくり南下している途中でコインランドリーを発見した。結構洗濯物が溜まっていたのでそこに入ったのだけど、洗濯機が無くて、全て乾燥機だった。そんなはずはないので何度もよ〜く見直したけど、やっぱり全部乾燥機だ。ほんとに意味が分からなかったけど、乾燥は出来ることが分かったので、近くの公園で手洗いして、また戻ってきて乾燥だけすることにした。
店内には、乾燥機の他に長机と椅子が3脚おかれていて、そこに座るとちょうど目の高さにコンセントの差し込みがあったので、乾燥機を回しているあいだ携帯を充電させてもらうことにした。
乾燥が終わり、洗濯物を畳み終わったタイミングで店主が登場。その時も充電の真っ最中だったのだけど、マックで充電している感じの感覚だったので、とくに慌てることもなく、じゃあそろそろ行くかと片付けを始めると、充電を目にした店主が突然怒りだし、その時になって「あ〜しまった!」と思った。
「すいません、乾燥している間充電させてもらいました」と、僕はお客さんですよアピールを挟みつつ謝ったのだけど、やはり通用しない。充電だけしていたと思っているらしく、「嘘をつくな!洗濯機もないのに乾燥だけするやつがどこにいるんだ!地元の人でもしないよ!」と言ってきたので、じゃあ誰がココを使うんだろうという率直な疑問はひとまず置いといて、公園で洗ってココで乾燥した旨を説明した。すると今度は水泥棒とか言い出したので、かなりイラッとしたけど、悪いのは俺だから我慢した。
警察が来ていろいろ聞かれ、事情を知ったおまわりさんは俺に同情的ではあったけど、やったことは良くないことだから、もう絶対しないようにね。と、そして店主はもう気が済んだらしく、「君にいい旅をしてもらいたいから、大事になる前にちゃんと注意したかったんだ」とドヤ顔で言い、俺はそれに対してお礼を言い、もう一度謝ってその場を立ち去った。電気泥棒はもう辞めようと誓い、実際それ以降はやっていない。それにしてもあのコインランドリーはいったい誰が使っているんだろう。

ゲストハウスは4箇所くらい回ったけど、それぞれ個性があって面白かった。いろいろな人がいて、喋った人はそんなに多くはないけど、それぞれの事情を聞いて見るとおもしろい。いろんなところで働きながら旅をしている人、年に2ヶ月だけ沖縄に滞在している人、離島から出稼ぎに来ている人など。全体的に若い人が多かったけど、なんか気後れして、歳が近そうな人とばかり喋ってしまう。
ある日、リビングで平和通りの古本屋で買った本を読んでいると、同室の青年(24)がはいってきたので、勇気を出して「これからバイト?」と話しかけて見た。そこから読んでた本の話になり、
「感じのいい小さな古本屋とか見つけるとどうしても入ってしまうんよ。」
「あーわかります!わかります!てか本のチョイスやばいっすね!」
みたいな感じで盛り上がりかけたけど、バイトの時間があってすぐ終わってしまった。次の日にはそこを出たので、その後その青年(24)とはあっていない。
後になってもっといろんな人に話しかければよかったと思ったけど、それはもう何時もの事だ。

途中で一度本島を離れ、渡嘉敷島に渡った。人口700人の島で、国立公園に指定された慶良間諸島の中の一つだ。アップダウンが激しすぎて、チャリダーにはむかないかもしれない。海があまりに綺麗だったので予定ではなかったけど、ダイビングをしようと思い、ウェットスーツを着たおじさんに聞いたら、明日は俺は無理だから違うとこ紹介してやるといって電話番号を教えてもらった。
で、電話で打ち合わせをして次の日の朝、迎えに来てもらった。
ボートで2本、珊瑚に囲まれた島で、透明度の高さも素晴らしく、地形も面白かった。大満足だった。インストラクターは俺と同じ歳で、出身も大阪で、オフシーズンなので、一人でショップを切り盛りしているというパワフルな女性だった。離島で店をやっていて、同い年で、大阪出身。こんだけ共通点があると話も尽きない。夜遅くまで飲みながら語り合った。種子島に行くと言っていたし、俺も渡嘉敷は気に入ったので、たぶんまた会えるだろう。

ゲストハウスを転々としている間に平和祈念公園、ひめゆりの塔、首里城に行ったのだけど、時間に余裕があってゆっくり見て回ることができた。
昔、広島の平和祈念資料館に行った時、あの時はただただ怖かった。色んな展示を見て、資料を読んで、知識としての戦争が、核兵器が怖かった。そしてもっと怖いと感じたのが、被爆者の写真を見ている時に気づいたこと。これは血なのか影なのか?この空は青いのか曇っているのか?白黒写真で見る戦争はリアルには到底及ばないだろうこと。そしてリアルに戦争を知っている人がいずれ、近い将来いなくなる事実の大きさ。
沖縄の資料館で見た戦争も、広島とは違った側面もあり、戦争の怖さは十分に伝わるけど、地上戦で、個人レベルではなんの恨みもない人同士が殺しあうという恐怖は、想像や、資料、映像では絶対追いつかない。ひめゆりの資料館で、生き残った方たちが語り手を育成する取り組みを紹介していたのを見ても、俺はそこに希望を見出す事は出来なかった。ただ、うまく言葉にはできないけど、広島の時より歳食った分、深く広く考える事はできたような気がする。やっぱり怖かったけど、いい時間だった。


最後のゲストハウスをでてから、国際通りでがっつりお土産を買い、S太の家へ行った。そこでお土産をダンボールに詰めて郵便で自宅に送り、S太、Mとパイナップルパークへ行って観光気分を味わい、最後の夜は3人でキムチ鍋を囲んで旅の締めくくりとなった。

この旅でいろんな人に出会えて、いっぱい考える機会を得た。非日常の日々のなかで、今まで気づかなかった自分の一面を発見した。「自分探しの旅」なんて言葉をよく聞くけど、なるほど、こう言うことかと、妙に納得した。

次の日早朝に鹿児島行きのフェリーに乗り込み、朝焼けに照らされた那覇の町並みを眺めながら、「いいところだったなー」としみじみ思う。温暖な気候と複雑な歴史が生み出した文化と風土がなんとも言えない魅力を醸し出している。きっとまた来るだろうなという予感と、でもここに住むことはないなという確信が同時に湧いてきて、ふと思ったことを口にしてみる。
「早く帰って仕事したいなー」


ー旅日記 fin ー






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